こうして挑戦者がいなくなる
平昌オリンピック開催中ですね。日本選手はなぜ謝るのか?という議題がネット界隈をに賑わせています。
それに対して為末大元選手のこの記事はなるほどな~と思いました。
さて、くまおさんも色々と挑戦しなくなった事があったな~と思い出しました。
アップル創業者のスティーズジョブズがこんな事を言っていました。
「多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ。」
ヘンリーフォードはこんなことを言っていました。
「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。」
これはサラリーマンの企画書や提案書でも当てはまります。
会社の上層部はどんどんアイデアを出す事を、社員に推奨します。
そしてチャレンジ精神あふれる社員が新しい提案をします。
場合によっては、自分の部署とは直接関係のない仕事に対しての提案だったりもします。そして会社としては部署間のコミュニケーションや提案は望ましい事だとされています。
しかし、この様な場合、往々にして企画提案の不備をみんなから集中攻撃されることになります。提案した側からすれば、折角提案してあげたのに文句ばかり言われ割に合いません。そもそもそのような提案が無いからこそ向上心で提案しているにも関わらずです。
「お前らが何もしないから、俺が企画書を作ってまで提案したのに・・・一体何なんだ?もう提案するのを止めよう。」
これはサラリーマン社会ではよくある現象です。目の前に事象が発生して初めて意見(多くの場合でマイナス面)を発言するのです。
そうなってしまうと、面倒を起こしたくないという心理が働き、新しい提案はしなくなります。防衛本能として正しい行為です。
同じ事をして同じ失敗を繰り返さない為のサラリーマン人生の知恵みたいなものです。日本人選手はなぜ謝るのか?という為末大さんの記事に共通する事がありますね。
しかし、意見を言っている側は全くそんなことを思いもしていない(気づいていない)ので厄介です。
「どんどん、新しい事にチャレンジしてほしい!」
と言う様な事を平気な顔で吹聴します。困ったものです。
そういう面倒を乗り越えてこそ、成功が見えてくるという意見もあるでしょう。
でも、あまりにも繰り返される場合は、別の会社に転職するか、自分で会社を起こしちゃいますよね。
実はくまおさんも今同じ問題に直面しています。
言っている側は何の悪気もなく言っているのでとても困っています。
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